小説 日本国憲法のぼやき 跡足 冪

ご挨拶

跡足 冪と申します。初めてのブログです。5月3日は日本国憲法が世の中に出た日です。この日に日本国憲法の”ぼやき”というかたちで、憲法の内容、制定時の葛藤などを文章にしました。文体も憲法には似つかわしくないものですが、堅苦しくならないように、これに決めました。まあ、小説ですし、何と言っても”ぼやき”なのですから……。

 

本文

こういう、ウェブでのぼやきって初めてなんで、どう書いたらいいのか分からねえんだ。

まあ、思ったままを書いてみるから、よかったら、読んでみてよ。

あっ、オイラ日本国憲法

オイラと言うからって、男でもねえし、女でもねえ。

逆に、男でもあるし、女でもある、かな。

まあ、どっちでもいいや。

男女っていう概念なんか超えてるし、それに、オイラ人じゃあねえし、字面上、「オイラ」がいいかなってことさ。

ちょっと言葉が汚ねえって? オイラ感情が入ると言葉悪くなんだよ、勘弁してよ。それに、これ、ぼやきだし。

オイラのこと、知ってる人は知ってるだろうし、知らねえ人は知らねえだろう。って、当たり前か。

いや、知ってくれよ。知らねえと大変だよ。

でもまあ、知らねえ人のために、自己紹介するよ。

オイラは1947(昭和22)年5月3日に、この世に出てきたんだ。

今年で73歳になった。

この日はオイラの誕生日ってことで、みんなで祝ってくれてありがとな。

オイラは、大日本帝国憲法の改正っていう形で、できたんだ。

でも、改正つったって、天皇がつくったことになってる欽定憲法大日本帝国憲法)から、国民がつくったことになってる民定憲法日本国憲法)になったんだから、これはもう、新しく生まれ変わったってことで、いいんじゃねえか? 

改正ってのとは、ちょっと違うような気がすんだよ。

なんだか変な気持ちだよな。

オイラの誕生秘話を聞いてくれるか。

秘話ったって、みんな知ってんだろうけどな。

オイラをつくるために、当時の政治家は何度も何度も討議して、何度も何度も草案を書きかえて、そりゃあもう、すごいエネルギーだったそうだ。

会議で寝てるやつなど、ひとりもいなかったってよ。

近衛文麿は、昭和天皇から、平和な国づくりをするための憲法をつくるように言われたんだ。

幣原喜重郎は独自に、新しい憲法をつくるために動き出した。

金森徳次郎や松本烝治(まつもとじょうじ)、宮沢俊義(みやざわとしよし)、芦田均(あしだひとし)、鈴木義男など多くの人たちの叡智(えいち)の結晶がオイラの元になったんだ。

ところが、GHQという連合国軍総司令部の最高司令官マッカーサーというアメリカ陸軍元帥が、民主憲法を早くつくれって、せかしてきたんだ。

アメリカと連合他国との何らかの事情があったようだがな。

幣原喜重郎は、昭和天皇の身分を護りたかったようで、マッカーサーと二人きりで話をしたそうだ。

その後、マッカーサーは、GHQ草案を日本に提案してきた。

幣原喜重郎たち日本側は、会議で検討に検討を重ねたんだ。

どうしたら昭和天皇を護れるか。国民が平穏に暮らしていけるか。てえことを考えてな。

決してひとりのわがままで、やったことじゃあねえんだ。

で、平和条項などを加え、今のオイラができたってことのようだ。

幣原喜重郎といえば、近年、彼の口述文書『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について―平野三郎氏記―』(憲法調査会事務局)が公開された。WEBに出てたから、ちょっと長いが読んでみてくれよ。

オイラがこの世に出た日には、国民にオイラのことをよく知ってもらおうと、『新しい憲法明るい生活』とかいう小冊子ってえの? それが、憲法普及會ってとこから出されたんだ。

その会長で、第47代総理大臣になった芦田均が、巻頭の「発刊のことば」で、オイラのことを「生まれ変わった日本には新しい國の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。」と書いてるんだ。

そんで、本文の「生まれ変わる日本」ていうとこには「民主主義は国民による国民のための国民の政治」って書いてんだよ。

リンカーンの演説のパクリじゃねえか? でもよ、言いたいことは分かんだろ? 

けど、残念ながら、この時点じゃ、まだナショナリズムを払拭できず、日本国籍者だけがその対象で、日本で暮らす住民全員のためのもんじゃあなかったんだ。

これがオイラの不満なとこさ。

前文で、自国のみに専念して他国を無視しちゃあならねえって書いてんのによ。

国民が国民の中から代表を選び、国会議員として議会で法律をつくらせる。

国会議員は総理大臣を選び、内閣をつくらせ、行政を担当させる。

内閣には各行政省庁の取りまとめをさせるため、総理大臣に選ばせた大臣を置く。

直接じゃあねえが、国民が総理大臣を選び、内閣をつくらせてるんだ。

国民の代表者であるはずの国会議員や、大臣の中には、国民を支配するかのように、権力をかざしていいと、違いしている奴らが多くいるが、そんな奴らを選ぶんじゃねえぞ。

それに、国会議員だ、大臣だ、つったって、オイラのことよく知らねえ奴が多いじゃねえか。

その時々で勝手に解釈してるし。

オイラの本質、オイラに書いてあること、しっかり受け止めろよ。

マジで実行してねえことも、あるじゃねえか。

オイラを変えたいって奴もいるようだが、しっかり勉強して理解して、まずは書いてあること実行してからにしろよ。

オイラをなめんな! 

おっと、まだ小冊子の内容を話してる途中だったな。

興奮がピークに達っしちまったぜ。

柄でもねえな。こんな気持ちは初めてだ。

小冊子には、「もう戦争はしない」っていうことも書いてある。

これは、軍備を振り捨てて、裸身(はだか)になって平和を護ることを、世界に向けて宣言したんだってことが書いてあるんだ。

「人はみな平等」ってことも書いてある。

これは、人はみな生まれながらに人としての尊さを持っている、ということだとあるんだ。

国家のため。とか、国民全体のために。なんつって、一部の権力者や、資本家のために国民ひとりひとりを犠牲にしちゃあならねえってことだ。

平等ってえのは、タメ口をたたくことじゃあねえ。

相手尊重して、同じ目線で応対することだ。

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」って福沢諭吉はオイラができるより昔に、いいことを言ってたな。

「自由のよろこび」ってえことも書いてある。

これは、言論、住居、職業、学問、信教、集会、結社などが、自由だってことだ。

今じゃあ当たり前だけど、昔は不自由だったんだ。お前ら、今に生きててよかったな。

昭和22年8月2日には、『あたらしい憲法のはなし』って言う小冊子を当時の文部省が出して、オイラの中身を詳しく書いてるんだ。

大まかに言うと、オイラの役割は、ふたつあって、ひとつは国をどう治め、国の仕事をどんな風にやっていけばいいのか、ってえことの根本になっている一番大事な規則であるってことだ。

まあ、家の柱みたいなもんかな。

もうひとつは、国民の一番大事な「基本的人権」を定めたってえことだな。

オイラは、上諭(じょうゆ)と前文と、103条からなる条文でできてるんだ。

上諭っつうのは、オイラを公布したとき、天皇のおことばに、当時の内閣閣僚たちが、署名捺印した宣誓書のようなもんだ。

前文てえのは、オイラの考え、とくに民主主義、国際平和主義、国民主権、について書かれてるんだ。

そして、もしオイラをまた変えようということがあっても、この前文の考え方と違う考え方をしてはならねえ、と書かれてんだ。

オイラ、少し疑問に思っていることがあるんだ。

それってえのは、オイラには民主主義、自由、平等、平和について書いてあるが、今現在、本当にそうなってるんだろうか、てえことだ。

民主主義は多数決って言うが、多数決が民主主義なんじゃねえ。

国民が幸せでいられることを念頭に、これでもか、これでもかと多くの議論を重ね、いろんな意見を、異見でもいいや、出して検討し集約してって、多くの人が支持したことが、結果として実行されてこその民主主義なんだ。

それが、なぜか単に多数決という手段のみになってしまったんじゃあねえのか。

自由だって言うが、本当に自由なんだろうか。

不自由さを心に生きている人だって、おおぜいいるんだ。

たとえば、職業選択の自由ったって、お金がなくて学校に行けず、資格試験さえ受けられなくて、断念する人とかがいまだにいるんじゃあねえのか。

これは学問の自由にもつながんだろう。

平等って何だ。みんな一律なのが平等か。何でもかんでも一緒なのが平等か。

人はみなそれぞれだ。ひとりひとり違うんだ。それをみんな一律にしようとする。

本当に平等ってのは、その人に合った、その人なりに最大限生きてける環境を整備することじゃあねえのか。

どんな人も同じように助け合える、手を差し延べ合える、そういう社会になるように取り組むことじゃあねえのか。

法は整備されているっつうけど、実社会ではどうなんだ。

男女間の不平等観はなくなったのか。

障がい者が暮らしやすい社会になってんのか。

上から目線で、やってあげているという気持ちでいねえか。

こどもをおとなのものにしてねえか。

おとなはこどもを護らねばならねえが、こどもはおとなの持ち物じゃねえ。

そういうところがなくならねえうちは、平等だなんて言えねえだろう。

平和平和と言うが、本当に日本は平和なのか。

いつ起こっても不思議じゃねえ地震や局地的な大雨などの災害や、感染症に、早急に対応できるようになってんのか。

もう想定外てえ言葉じゃあごまかせねえぞ。

国際平和主義てのは、世界中の国が戦争しねえで仲良くやっていくことだ。

戦争して辛い思いをしねえようにすることだ。

日本が、先陣きって手本になって、世界を平和に導くっつう使命感からできた言葉だ。

で、これらすべて、基本的人権につながり、ひとりひとりの幸せが国民全体の幸せにつながるんだ、そんで、それを世界中の人々に拡散させていく必要があるんだ。

今のような覚悟のねえ、上っ面だけの半端な気持ちの日本は、オイラに書いてある民主的で自由で平等で平和な国だとは思えねえ。

オイラは、国家権力を制限して、国民の自由、権利を守る法規範=ルールなんだ。

国民が国家権力に対して科した、暴走させないための見張り役なんだ。

だから、オイラは国民ひとりひとりの味方なんだ。決して国家権力の用心棒じゃねえんだ。

オイラが、政治家や官僚など、国家権力を担う機関に従事する奴らを制限しねえと、国家権力が暴走して、国民から基本的人権や自由が奪われちまうからな。

本来、国民から選ばれた政治家や、官僚など国家権力を担う機関に従事する奴らは、国民の幸せや笑顔で暮らせることを、支えていかなけりゃならねえんだ。

それが民主主義だ。決して、国民を支配する事じゃねえ。

おとなは学校で習っただろうが、忘れたんなら思い出せ。

子どもはこれからしっかり学べ。オイラの基本原理は、国民主権基本的人権の尊重、平和主義、だ。

基本原理ってえのは、どんな法律や命令も国家権力も、侵すことができねえもんで、最大限に尊重されるように守るべきもんなんだ。

国民主権ってなあ、国の行政のあり方を最終的に決めるのは国民で、国家権力の行使を正当化する究極の権威は、国民に任せられてるってえことだ。

基本的人権の尊重ってえのは、人は生まれながらに何者にも侵されねえ権利、自由を持ってるってことだ。

何者にもってえのは、国家権力からも、他者からも、そして、親からもってえことだ。

自分の子どもだからって、思いどおりにしようなんて、できねえんだ。

もうひとつ、ここでいう平和主義ってえのは、武力の保持や行使はしねえってことだ。

前(さき)の大戦では多くの犠牲者が出た。

兵士だけでなく民間人、老人や、みどり児、いたいけな子どもたちもだ。

日本だけじゃねえ。戦争に加わった国に住む人々みんなが犠牲者だ。

亡くなった人も、生き延びた人も心身に大きな傷を負って、長いこと苦しんできたんだ。そんなことが起こっていいのかよ。

日本は世界に先駆けて、武力の保持や行使はしねえことを、オイラに書き加え、自らへの戒めと世界へ向けた宣言にしたんだ。

原爆を受けた唯一の国であり、もう戦争をしてはならねえと、考えてる人が多かったからこそ、世界に向けて武力ではなく対話で、心で示そうとしたかったんだろ。

しかし、日本はその考えを変えちまった。

でも、今からでも遅くはねえ。少しずつでも、世界平和に向けて行動していく必要があるんだ。

オイラにはそう書いてある。

こんなオイラを、オイラは気にいってんだ。手前みそかな。

今、オイラには気になることがある。

オイラを改正しようつう動きがあることだ。

本当にオイラのことを理解して、オイラがどんな経緯でできたのか。

オイラをつくった当時の人たちの、どういう思いが込められていたのかを、読み取ってほしいんだ。そして、オイラに書いてある内容を、その時々で勝手に解釈しねえで、マジでオイラの本質を考えて、書いてある内容を実行してほしい。

オイラ、絵に描いた餅じゃあねえんだ。

変えるんならそれからでもいいだろう。

でもって、日本国民も、他国の人も、日本で暮らす人は、老若男女、おとなもこどもも、人種、信条、宗教、性別、LGBTはじめセクシャルマイノリティや、健常者、障がい者、そして、人とともに生きる動植物、みんなが暮らしやすい世の中にしてほしいんだ。

そう、そんなふうに中身の格好いいオイラにしてくれるなら、嬉しいぜ。

みんなが悲しい顔をするような、不細工なのはゴメンだ。

 

参考文献

『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について―平野三郎氏記』(憲法調査会事務局)

『新しい憲法のはなし』(文部省)より抜粋

『新しい憲法 明るい生活』(憲法普及會編)より抜粋